久々に始めるブログの最初の記事は、父が亡くなったときの話にしたいと思います。
最近ようやく相続手続きの終わりが見えてきて、ここに至るまで色々あったので、あまり考えたくはないけど、いつか来る次回(母が亡くなるとき)に備えての情報整理と、もしかしたら誰かの参考にもなるのではという思いもあって、ここ数カ月の流れを整理したいと思います。
父の晩年と死因
私の父は今年、2024年1月に78歳で亡くなった。
厚生労働省のデータによると、令和5年時点の日本人男性の平均寿命は81.09歳で、75歳存命時からの平均余命は12.13年とのことだったので、残念ながら平均には少し足りなかったということになるのだが、父の生い立ちを考えると十分に長生き出来たとも言える。
父は幼少期に日本脳炎を疾患し、その後遺症で心臓の弁膜に問題を抱えてしまったため、青年期に一度心臓手術をしており、また、59歳の時に再度問題が起こり再度手術を受けていた。
そしてこの際の手術が難航し、一度やり直しをすることになってしまい生死の境を彷徨うこととなったが、なんとか生還することができ、その後通常の生活に戻り、定年と老後を迎えることができた。
この際主治医からは「10年は大丈夫でしょう」と言われていたのだが、実際には78歳まで生きることが出来たわけなので、まあ予後としては上出来だったのではないかと思う。
しかし本来、私の父方の親族というのは基本的に病気もなく非常に生命力が強い家系のため、みんな80歳くらいだとピンピンしている。それを考えると「なんで父だけが」と残念な気分にもなるのだが、世の中の色んな境遇の人と父を比較すれば、2児を成し、定年まで勤め上げ、老後は庭いじりをしながら度々妻とプリウスで日本全国を旅をして、孫にも会うことが出来た上での78歳での往生というのは、相対的にはかなり良い方の人生だったと言えるのではないかとも思う。
長生きが難しいと分かっていても、事前準備は難しい
父はこんな調子だったため、もともと「90歳、はたまた100歳。いつまでも元気でね」というのは難しいとは思っていた。特に近年は手術やその後の投薬の影響もあって、肺や肝臓などの内臓機能が徐々に低下し、だんだんと歩行にも難儀するようになっていったため、そう長くはないんだろうなあとは、なんとなく思わざるを得ない状況ではあった。
このため亡くなったときの葬儀や相続などの学習や準備を、ある程度事前にしておいたほうが、自身の忙しい時期と重なった場合の備えになるとは思っていたのだが、準備をするということは父親が亡くなったときのことを具体的にイメージする必要があるわけで(出来ればそんなことは考えたくない。楽しくない)、それは当時の自分にとって、精神的にかなり負荷の高い作業だと感じてなかなか着手することが出来ないままでいた。
また当の本人にもまだまだ死ぬつもりはないようで、その際の準備をするつもりもなく、協力を取り付けにくかったという状況も、準備を行うための障害となっていた面もあった。
相当に悪いタイミングで訪れた父の最後の日
2023年の年末に実家に帰省しようと思っていたところ、仕事がかなり忙しく過労気味だったこともあって、風邪がかなり悪化して体調を崩してしまい、帰ることが出来なかった。
このため、代わりに年明け最初の週末(1/6~1/8)が成人の日と合わせて3連休となっていたため、このタイミングで子供を連れて帰省することとした。
帰ってみると父は、老衰がかなり進んでしまった印象で、なんとか短距離の歩行なら可能で、がっつり介護を受けるというほどの状態ではなかったが、食事の量は極端に減ってしまい、もうあまり長くはなさそうな印象を受けざるを得なかった。
また本人にもその自覚があったのか、1月の寒い中にも関わらず自慢の庭で孫とデザートを食べたり、あまり食べられない中にも関わらず、良く家族で行った焼き鳥屋へ行きたがったりと、過去楽しかったことを最後にもう一度、頑張って楽しんでいるような様子だった。
その後私は千葉の自宅へ戻り、大量の仕事を捌きなんとか1週間乗り切った後の土曜の朝(1/13)、あまりにも呼吸が苦しいので病院に行くと、中程度の肺炎で入院が必須な状況であるとの診断を受けた。入院前の精密検査のため待機していると母親から連絡があり、父が極度の貧血で入院することになったとの連絡を受けた。このため自身の入院準備をしながら、電話で狼狽する母親には肺炎のことは隠しながら、父に必要な手続きの支援をするという状況となってしまった。
入院時の診断結果では「入院期間は恐らく10日程度」との診断だったのだが、年齢が比較的若いこともあって回復は早く、実際には5泊6日で1/11(木)には退院することが出来た。また、この間に父も全身輸血を受けて症状が回復したと連絡を受けていたため、この時点ではなんとか自身も父も安定に向かうのではないかと、なんとなく楽観的に考えていたかと思う。
しかし翌1/12(金)の午前中には母親から再度緊急の連絡があり、父の容体がかなり悪いということで急いで実家へ帰ることになった。後から聞いたところによると、全身輸血は内臓への負荷が高いため、もともと弱っていた父の内臓が耐えられなかったとのことだった。
私はそのまま母と弟と共に、最悪のコンディションの中、ほぼ徹夜の看取りをすることになり、そして翌朝9時頃に父は亡くなってしまった。
人が亡くなった場合、そのまま葬儀会社へ連絡を取って葬儀のための手続きを開始する。このため人の最後を看取ることが可能な設備のある病院には、近くの主な葬祭場への連絡先が準備されている。また、生前に戒名を取得していなかった場合は、葬儀の前に戒名を菩提寺へ依頼する必要もある。
気落ちしている母や、言われたこと以外の行動を起こすことが苦手な弟には頼ることが出来なかったため、私は体調不良を押して、その日の夕方まで各種手配を行うことになった。葬儀は1週間後の1月20日と決めた。私はそれまでの間実家の子供部屋に滞在して、弔問客対応をしながら葬儀関連手続きとリモートワークを並行して対応することにした。
私の父の最後はこんな感じで、かなり悪いタイミングが重なってしまったのだが、なんとか乗り切ることが出来たという形だった。
葬儀を終えた後、私は千葉にある自宅へ帰ってしばらく日常生活を送っていたが、四十九日のタイミングで再度実家に帰り、このタイミングで相続手続きの準備を開始することとなった。
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